高円寺の畳の上で

高円寺の畳の上で死にたいのだが、それを叶えるためには、高円寺に住む必要がある。それに向けて努力できるのかどうか、というブログ。

僕たちがやりました最終回を見た

じっくり2回見た。

苦しくって昨日丸一日塞ぎ込んでいた。

4人で犯した罪だったが、

犯行から自首までの期間で、

その意味が、それぞれで変わって行っていた。

 

罪の変質。

 

主人公は、「誰でもない人々」を殺したことから

「親友」を殺したことに変わってしまった。

だから、捕まって裁かれて服役しても、

自分で自分を赦すことはずっとできない。

 

罪を償うことを父親になるための試練と捉え、遺族への謝罪を浄化として捉え実行したイサミ。

金を湯水のように使ってキャバクラ遊びを覚えたマル。

父をある意味では乗り越えたパイセン。

 

人を殺す、という罪が一様に人の心の影を落とすのではない。

自分が赦せないことを自分がしたのだ、という意識がそうするのだ。

誰が赦したとしても、この自分が赦せないのだ、と

常に有罪を言い渡す瞬間の法廷が内面化され繰り返され続ける。