高円寺の畳の上で

高円寺の畳の上で死にたいのだが、それを叶えるためには、高円寺に住む必要がある。それに向けて努力できるのかどうか、というブログ。

記念碑的な恋とは

スミレは記念碑的な恋をしていた

と、小説『スプートニクの恋人』の最初の1ページに出てきた表現は、

今も思い出すほどに新鮮なものだった

 

記念碑的な恋とは。

あるいは、この僕が経由してきた恋らしきものを

そのように形容できるか否か。

 

なんだか書いていて、やや気持ちが悪い

いや、読んでいて、かな

気持ちの悪い人が書いたものを読んでいる感じがするが、

その気持ちの悪い人というのは、この僕ということになる

その居心地の悪さ

そしてまた、こうして自己言及すれば許されるでしょ、的な気持ち悪さ

これは書いたらそれもまた同じことを繰り返して行って、

無限後退して歯止めが

きかない

無限の気持ち悪さの彼方。

 

ただ僕の人生を振り返れば、

その恋らしき何かの墓標が立っているに違いなく

そういう意味で記念碑と近い

 

墓標。

 

しかしながら、

そこにあった幸福な香りをまだ思い出せるのだし、

それは線香の匂いとは似ても似つかないのである。

 

幸福な香りは、焼きたてのパンの香り。

幸福な香りは、泳いだ後のサウナの木の香り。

幸福な香りは、

 

とまあ、それはともかく。

 

なぜこんなことを書き出してしまったのだろう。

 

謎。これも情緒不安定のなせる技かい、マイフレンド。